臨済宗妙心寺派
海上山 長興寺(ちょうこうじ)について
今から約640年前、康安年間(室町時代)のこと、鎌倉建長寺の開山大覚禅師のお弟子、友嶽和尚が行脚中、原大塚の海辺にさしかかった時、海の響きに感応道交して歓喜雀躍、念持仏の虚空蔵菩薩を奉安して一堂宇を建立しました。
その場所(一堂宇)が砂州の上にあり、満潮の時には根方街道から見ると海の上に浮かんでいるように見えたので山号を海上山としたと伝えられています。
また、白隠禅師のもとに全国から訪れた修行者たちの宿坊として使われました。
江戸時代になり、徳川幕府の政策により妙心寺派に編入されました。また東海道の整備と共に、他の寺院と同様、海岸寄りにあった境内は、現在地に移転され今日に至っています。

白隠の宿坊

金ぴら堂
毎年5月の最終日曜日か6月第一日曜日に「奉納 赤ちゃん泣きずもう大会」がこの金ぴら堂の前で行われます。